LMOへの想い

日本における急速な少子高齢化や核家族化を背景に、人々や地域、家族の「絆」の重要性が再認識されています。とはいえ、少子高齢化や核家族化に対応したサービスは、いずれも断片的なものであり、人生をトータルで支えようとするものは、まだまだ少ないのが現状ではないでしょうか。

私は、国内大手商社のIT部門等でSEを経験後、ヤフーやツヴァイで婚活事業に携わってきました。そして、地方自治体の少子化対策事業では、30都道府県以上のプロジェクトを手がけています。そのような経験と実績のなかで、今までにない、これからの時代に相応しいサービスを手がけたいと思い「LMO」を立ち上げました。

LMOは、「Lifedesign Matching Online(ライフデザイン・マッチング・オンライン)」の略となっており、「自分らしい生き方で、つなぐ、つながる」という意味があります。そして、LMOを利用されたみなさんが、結婚にとらわれずに「幸せ=ウェルビーイング(well-being)」な人生を送れるように・・・との想いが込められています。

「3年後、5年後・・・そして『人生の最期』をどのように迎えたいですか?」

LMOが、みなさんに最初に問いかける質問は、とてもシンプルです。

しかし、このような質問にすぐ答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか?

現状、仕事は充実しているけれど、プライベートを犠牲にしていると感じているかもしれません。都会にいて刺激的な毎日だけれど、これからもずっとこのままでいいのか疑問に感じているかもしれません。いい大学を出てそれなりの企業に勤めてはいるけれど、実はこの仕事がやりたかったとは言えないまま、時が過ぎているかもしれません。

人生100年時代、超長寿社会を迎える中で、「自分らしく、生きる」ことを「デザイン」する必要性が高まっているといえます。

今はこれで良いと思った人生が、そう長くは続かないことが多い不安定な時代だからです。

不安定な時代、先行きが不透明だからこそ、「自分らしい人生」を「デザイン」するのです。

もし自分が思い描き、デザインした「自分らしい人生」に、深く共感してくれるパートナーと出会えたらどうでしょう?

一人より、二人。二人より家族・・・。もしかしたら自分が想像する以上に、大きな生きるチカラになるかもしれません。

もちろん、価値観が多様化している時代です。独りで生きていくという選択肢もあります。

子どもをもたず、夫婦二人だけで生きていくという選択肢もあります。

ここで重要なことは「自分らしい人生とは何か?」を考え、選んだ人生に(人生最期まで)向き合って行けるのか?

イメージを膨らませて考えておくことだと思います。

ライフデザインは、いつ始めても遅くはありません。ときには見直すこともあるでしょう。

何よりデザインすることが、実現への第一歩です。

私の稚拙な人生観において、「『幸せ』なんて、自分のココロが決める」とは言いましたが、それは人生にしっかり向き合ってこそ、感じられることなのかもしれません。

みなさんが「自分らしい生き方」をデザインされ、みなさんそれぞれの「幸せ(well-being)」につながりましたら、この上ない喜びです。

「幸せ」について思う。

「幸せ」ってなに? いつか息子に聞かれたら。

「守るべきものがあるってことじゃないかな」。

今の僕なら、きっとこう答える。

ずいぶん悩んできた答えでもある。

僕には長いあいだ、「愛」だとか、「幸せ」だとか、その本質を語れる自信など全くなかった。

周りには「幸せになってほしい」などと願ってきたくせにだ。

「幸せ」とは何か? 本当の「愛」とは何か?

「幸せ」については、ようやく答えを出せるようになった。

僕の”親たち”は、離婚を何度も繰り返し、僕の名字は3度変わった。

最初の離婚後、父の元で暮らす。日中でもとても暗い、人の気配が全く感じられない家で過ごした。そして母が戻り、復縁。

だが、もとの家族3人で過ごせたのもわずか1年。その後、両親は永遠の別れを選んだ。

2度目の離婚後。九州から北海道に移り住み、母親の元で暮らす。

特段スキルなどなかった母だから、とにかく家計が苦しい。夜な夜な仕事に出掛け、ひとりきりの夜を過ごした毎日。

ついには電話やガスが止まり、差し押さえの赤札が貼られる。これはまずいと子どもながらも不安になった。しかし、勉強が大事だからと、中学では塾に通わせてくれるまでになった。今考えたら、見えないところで相当な苦労があったに違いない。

その後しばらくして、内縁の男性と一緒に暮らす事になる。その男性は、スキーを教えてくれたり、コンピュータ系の分野に興味を持つきっかけを与えてくれたりした。少しだけ感謝している。

残念だが、何かと母親に暴力を振るうようになり、その生活は長く続かなかった。

それから3年。

再び、夜の仕事で出会ったらしい男性と付き合うようになり、今度は籍を入れることになった。

その父親とはもともと相性が悪く、僕は家を出て下宿生活に入る。そうはしてみたものの・・・母親に暴力を振るうようになり、再びの離婚。

血のつながった父親とは、30年以上会っていない。連絡が来ることもなかったようだが、僕も会いたいという気持ちにはならなかった。どうしてだろう? と考えたこともあったが、きっと、父親と楽しく過ごした記憶がほとんどないからに違いない。

だが、人生とは不思議なもので、ひょんなことから、自分には血のつながった「妹」がいることが分かる。

一度も会ったことのない「妹」。

今では30近くになっているはずだ。

幸せに暮らしているのだろうか。

さて、話を現在に戻してみよう。

子ども時代のいろいろな出来事について、果たして不幸だったと言えるのか?

これははっきり言えることだが、不幸だったとは思わない。

すべてが、今の自分につながっているからだ。

どんなことがあっても、やがて「幸せ」のタネにつながると信じたい。

結局、「幸せ」なんて、自分のココロが決めるものなのだ。

真逆の体験があったからこそ、本当の苦しみや喜びが分かるものなのだ。

少しは「幸せ」について語れるようになった自分を誇りに思う。

今の僕に、守るべきものがあることに感謝したい。

(2013年7月13日 LMO代表のFacebookでの投稿記事を一部修正して再掲)

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